Design Thinking

馬鹿について考えた

この前、バカってどういうことかなぁ、と思考実験を行いましたのでその話を掲載します。めっちゃ長くなってしまいました。考えはまとまっていますがどうも長すぎるので「これを元に読みやすい小説にしてください。」とChatGPTさんにお願いしましたが、あまり良いものが返ってきませんでした。
それでもまあ、小説のほうが読みやすいか、?と思います。が、やっぱりちょっと内容が変わってしまいます。
どうせなので、両方を掲載します。

ちなみに、今回のアイキャッチ画像も小説を元にChatGPTさんが作ってくれました。ありがとう。微妙だけど。

思考実験

戦争って愚かなことなのか?
戦争をするというのは、なんて愚かなことだろう。話し合いで解決できるはずなのに、暴力に訴えるなんて間違っているに違いない——以前の私はそう思っていました。でも最近、ふとこう考えたんです。本当に話し合いだけで解決できるものばかりなのだろうか、と。
例えば、自分が連続殺人犯に誘拐されたとします。犯人が背を向けて電話をしている間に逃げられる絶好のチャンスがあったとしたら、その時、犯人と話し合うのが正しい選択でしょうか?きっと違いますよね。圧倒的に理不尽な状況では、暴力という手段を使うことが「愚かだ」とは言えないと思うのです。
では、戦争はどうでしょうか?例えば、ロシアがアメリカという脅威に対して戦争という手段を取らざるを得ない状況だったとしたら。それはロシア側からすれば自衛のための手段かもしれません。そう考えると、戦争をする人たちを一概に「バカだ」と片付けるのは、何かが違うような気がしてきました。


「バカ」を考える
そこで、そもそも「バカ」とは何なのかを考え直してみることにしました。誰をバカと呼ぶべきなのか。
私がまず思い浮かべるのは、「部下に怒鳴る上司」です。こいつ、本当に嫌いなんです。事業を成功させるのが目標のはずなのに、怒鳴ることで部下を萎縮させ、周囲の士気を下げる。それは、自分の未熟さを大声で宣伝しているようなものです。
怒鳴る上司がなぜ “バカ” なのかを考えたとき、それは単に「想像力がないから」ではないかと思いました。怒鳴ることで生じるデメリットや他の選択肢を想像できない——だからバカだと。でも、想像力が無かったとしても “バカ” とは呼ばれない人もいますよね。例えば、言われたことを完璧にこなすことができる人。テストで高得点を取る人だって想像力がなかったりします。彼らをバカと呼ぶのは少し違う気がします。
じゃあなぜ、「部下に怒鳴る上司」はなぜバカなのか。そもそも、怒鳴ることで部下や周囲のパフォーマンスを低下させる事実を知らなかったり、正しいマネジメントについての知識がないのかもしれない。ということで、「知識がないやつがバカ」という定義を考えました。
しかし、これも一様には当てはまりません。知識を得る機会に恵まれなかった人をバカとするのは慎重に考える必要があります。教育や環境の影響が大きいため、個人の責任とするのは難しい場合があるはずです。なので、「知識のない奴がバカ」と一様に定義を置くことは間違えていると考えました。

ただし、怒鳴る人が周囲にいると作業効率が低下する、なんていうのはかなり有名な話です。今回の例で挙げている私の上司だったバカもこの事実を“知らなかった”ということはないでしょう。つまり、デメリットが大きいというエビデンスを知り得ながらも怒鳴るという行為に至ったことは、そのエビデンスをちゃんと読み解くことができなかった“理解力の無さ”が原因かもしれません。
では、「理解力がないやつがバカ」でしょうか?これも微妙です。一度で理解できなくても、失敗を繰り返して学ぶ人もいます。人間は失敗から学ぶ生き物ですから、それをもってバカとするのは早計だと思います。
なので、「理解力」がないのではなく、得た経験から正しい答えを出すことができずに何度も同じ失敗を繰り返してしまう「学習力のないやつがバカ」かもしれないと考えました。しかし、怒鳴る上司はこれまで怒鳴ることで会社を成長させてきた——という「経験」があるかもしれません。その経験を学習して怒鳴るという手段をとっている可能性がある以上、一概に学習力がないとは言えないのです。

それでは、そもそも怒鳴る上司はバカではなかったということでしょうか。そんなはずありません。あいつ愚かで最低な人間なことを私は疑いません。

欲求に負ける人間
では、なぜ怒鳴るのでしょうか。それは、「怒鳴りたい」という欲求に負けているからではないでしょうか。欲求に負けて知識や理性を超える行動をとる——ここにバカの本質がある気がします。
そう定義付けるために、まず「欲求に負ける」とはどういうことかを考えました。これもまたややこしい話になります。
浮気をしてしまう人は悪とされています。しかし、そもそも動物は遺伝子を未来に繋げることを目的とした本能を持っています。その本能が存在するのに対し社会は、「浮気はいけないことだ」とルールを作っています。その文化が生んだルールを守れないと、「欲求に負ける」と表現されるのでしょうか。時代や文化が変われば一夫多妻制は当たり前のものになることでしょう。
未成年者への性犯罪が多く取り上げられる世の中ですが、人間ではなく動物ヒト科として考えるのならば子孫を残すために忠実なその行動は違いである行為とも言い難くなってくるようにも感じます。
このような考えから「欲求に負けて理性を捨ててしまう人がバカ」というのも的を得ていないようなきがしてきます。しかし、ここで大きな気づきがありました。
部下を怒鳴る上司は「欲求に負けて理性を捨ててしまう人」ではあるが、その欲求とは、本来の目標である「事業を成功させる」というものから「怒鳴りたい」というものに変化している、ということです。つまり、部下を怒鳴るような愚かな上司は「目標に対して間違えた手段をとる人間」だということです。
つまり、「目標に対して間違えた手段をとるやつがバカ」なのではないでしょうか

目的と目標の違い
目的と目標の違いを例を交えて簡単におさらいします。
例:目的が「痩せてモテたい」という人の場合。
この人の目標は「1ヶ月で5kg痩せる」ということになります。
そして、その手段が、間食を辞めることや1日5kmのランニングをする。というものになります。
この前提を踏まえて、“部下を怒鳴る上司”に当てはめると、
上司は「事業を成功させたい」という目的に対して、手段を「部下を怒鳴る」という間違った行動をとっていることになります。
他にも、浮気をしてしまう人が「彼女との幸せな家庭を築きたい」という目標に対して「浮気」という間違った手段をとっているからバカ。といえます。
しかし、幼女への性犯罪を行う人はどうしてもそうしたい。という欲求に従いそのような手段を取るのであればそれはバカではなく欲求に素直な人、というべきだと私は今回の思考実験を通して考えるようになりました。ただし、その性犯罪者が「日本で幸せで豊かな生活を維持したい」という目標を持っているのであればその手段は間違えているので、「バカ」ということができると思います。

つまり、怒鳴る上司の場合は、「事業を成功させる」という本来の目標から「怒鳴りたい」という欲求に流され、間違った手段をとっています。それが、私が考えるバカの定義に近いのではないでしょうか。
結論:「間違った手段をとる人がバカ」
だから、こう結論づけてみました。「目標に対して間違った手段をとるやつがバカ」です。
バカを避けるための力
バカにならないためには「目的を常に意識する力」が重要です。これは、自律性や自己管理能力とも関連しています。これらの能力を養うことが、バカな行動を避ける鍵となるでしょう。
バカな行動が必ずしも悪い結果をもたらすわけではありません。むしろ、人生においてバカな行動が快楽や成長をもたらすこともあります。
私は、中学生の時、友達と花火をやっていた際に線香花火があまりにも綺麗で落ちる瞬間にてで火の玉をキャッチしたことがあります。明らかにバカです。
私は「花火をして友達と楽しい思い出を作る」という目的をもち、「楽しく遊ぶ、怪我をしない」という目標に対し、「手で線香花火をキャッチする」という間違えた手段を取りました。
しかし、それは一生忘れない思い出になり、「楽しく遊ぶ」が「怪我をしない」を上回り総合的に目的を達成することができたといえます。
このように、バカな行動がどのように人生を豊かにするかを考えることも重要です。


結論
今回の思考実験を通じて、バカとは何かについて多角的に考察しました。目的と手段の関係性、文化の影響、そしてバカを避けるための力について深く掘り下げました。バカな行動を完全に避けることは難しいかもしれませんが、目的を意識し、適切な手段を選ぶことで、その頻度を減らすことができます。
バカについて考えることは、自分自身の行動を見直す良い機会です。今後もこのテーマについて考察を続け、より深い理解を得たいと思います。


おわりに
今回の考察が、読者の皆さんにとって「バカ」という概念について新たな視点を提供できれば幸いです。バカな行動を避けるだけでなく、時にはそれを受け入れ、学びと成長の機会に変えることが重要です。

ChatGPTによる小説化

「戦争って、本当に愚かなことなんだろうか?」

彼は、窓の外を見つめながら独りごちた。遠くに見える夕焼けが街並みを赤く染めている。その赤色が、どこか戦火の赤に似ているようで、彼の胸をざわつかせた。

「話し合いで解決できるはずなのに、暴力に訴えるなんて間違ってる…」

これが彼の長年の信念だった。けれども、最近になって考えが変わり始めていた。連続殺人犯に誘拐された自分を想像してみたとき、彼は気づいたのだ。理不尽な状況下では、話し合いだけで解決できないこともある、と。

「逃げるチャンスがあれば、犯人と話し合うなんて愚かだ。むしろ行動するべきだろう。」

その考えを戦争に当てはめると、ロシアがアメリカという脅威に対抗するために戦争という選択肢を取ることも、彼の中ではある種の合理性を帯びた行為に思えてきた。戦争を愚かだと片付けるのは簡単だが、そこには深い事情があるのかもしれない。

バカを考える

彼は、戦争の話からふと、「バカ」という言葉の本質を考え始めた。誰をバカと呼ぶべきなのか。

まず浮かんだのは、部下に怒鳴る上司だった。

「事業を成功させるのが目的のはずなのに、怒鳴ることで士気を下げてどうするんだよ。」

彼は怒鳴る上司を嫌っていた。怒鳴る行為がもたらすデメリットや、他の選択肢を考えないその姿勢。それはまるで、未熟さを大声で宣伝しているように見えた。では、その上司をバカだと決めつける理由は何なのか?

「知識がないからバカなのか、それとも理解力がないからなのか。」

彼は次々と仮説を立てては反証を試みた。知識がないことを理由にバカと呼ぶのは、教育や環境の影響を無視することになる。理解力がない場合も、失敗を繰り返して学ぶ人がいる以上、それだけでバカと断定するのは難しい。

「学習力のない人がバカ…か。」

そう結論づけようとしたが、怒鳴る上司には「怒鳴ることで成功してきた」という経験がある可能性を思い出し、それもまた一概に言えないと気づいた。

欲求に負ける人間

では、なぜ怒鳴るのか?

「怒鳴りたい」という欲求に負けているだけではないのか。

この仮説に至った彼は、人間の欲求と理性の関係について考えを巡らせた。例えば、浮気をする人は悪とされるが、動物としての本能を考えれば、それはある種の自然な行動とも言える。だが、それを社会的ルールで縛ることで「欲求に負ける」と表現される。

怒鳴る上司もまた、本来の目標である「事業を成功させる」から逸脱し、「怒鳴りたい」という欲求に流されているのだろう。つまり、彼が導き出した結論はこうだった。

「目標に対して間違った手段を取るやつがバカだ。」

目的と目標の違い

彼は、目的と目標の違いを簡単に整理した。例えば、目的が「痩せてモテたい」ならば、目標は「1カ月で5kg痩せる」になる。そしてその手段が、間食をやめることやランニングをすることだ。

部下に怒鳴る上司の場合、「事業を成功させる」という目的に対し、「部下を怒鳴る」という間違った手段を選んでいる。それが愚かさの本質だと彼は考えた。

バカを避けるための力

「バカにならないためには、目的を常に意識する力が必要だ。」

彼は、かつて中学生のころ、友人と花火をしていたときのことを思い出した。線香花火の玉を手でキャッチしようとして軽いやけどを負った。明らかにバカな行動だが、その体験は彼にとって忘れられない思い出になった。

「時にはバカな行動も人生を豊かにするんだ。」

そう結論づけた彼は、バカを完全に避けることは不可能だと悟った。しかし、目的を意識し、適切な手段を選ぶことで、その頻度を減らすことはできるだろう。

結論

夕焼けが闇に飲まれるころ、彼は独り静かに考えをまとめた。

「目標に対して間違った手段を取るやつがバカ。そして、そのバカにならないためには、常に目的を意識する力を養うことが大事だ。」

彼は、自分自身の行動を見つめ直しながら、これからもこのテーマについて考察を続けていく決意を固めた。

まとめ

こんな感じです。読んでくれてなくても、ありがとうございました。

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